徳川実紀 | 台德院殿御實紀附録

第2巻 第13章

板倉伊賀守勝重久くして京職に在て。齡や…
オリジナル

板倉伊賀守勝重久くして京職に在て。齡やゝ傾き。その職にたへざればとて辭し奉けるに。公なをしばらくかくてあるべし。汝に代りてこの職勤むべき者なしと仰ありて。ゆるしたまはず。勝重なを?て辭し奉りければ。さらば代るべき者撰み出よ。我はいまだ其人をみずと仰下さる。勝重年比京に侍て。御家人の事委しくは知侍らず。こゝらの人の中になどか人のなかるべき。遍く尋させ給へ。但し勝重にすゝめよとあらんには。子にて候周防守重宗こそ密夫の首切るべき者に侍らず。もし彼をもて父の闕に補せらるべきやと申ければ。公大によろこばせ給ひ。重宗めしてその事命ぜられ。勝重には原務をゆるされぬ。されども重宗あながちに辭しければ。子を知るは父にしかずとこそいへ。汝が父のすゝめにてあるぞ。辭するなと仰下されしかば。重宗やむ事を得ず御請し。まかでゝ後に父にむかひ。某いかでこの職にたゆべき。情なくも御推擧にあづかりしものかなとうらみけれは。勝重うちわらひて。おことは世の諺をしらぬよな。爆火を子にはらふといふは。この父が事なりと答へしとぞ。晋の祈奚が?擧親を避ずといへりしふる事。思ひあはされ。いと殊勝なる事にこそ。

板倉伊賀守勝重は久しく京都所司代職に在って、齢も重ね、最早その職に耐えられないだろうと辞職を申し出た。 秀忠公は、 「暫く在職せよ。汝に代わって、この職を勤める者がいない」と許さなかった。 勝重は尚、辞意を述べ続けた。 「それならば、代わるべき者を選べ。その者を見てから決めよう」と秀忠公は言った。 勝重は京に在って、御家人の事など詳しくは知らない為、家臣達の間で相応しい者がいないかどうか、遍く尋ねさせた。 又、勝重にも誰か勧めるようにと言ったのには、勝重の子で、密通者の首を切る役目を負っている周防守重宗が父親の跡を補うべきではないかと告げた。 秀忠公は大いに喜び、重宗を呼んでその事を命じた。 勝重には、最早務めが適わない、だが重宗がむやみに辞退すれば、子を知るのは父親だろう。 汝の父親の勧めなのだから、辞退するなと秀忠公が言ったので、重宗はやむを得ず、請けた。 重宗は、退出してから父親に向かい、「それがしが如何にしてこの職に耐えられるだろう。情けなくも推挙に預かってしまったものだ」と恨み言を言った。 勝重は笑って 「お前は世の諺を知らぬなぁ。『爆火を子に払う』とはこの父の事だ」と答えた。 晋の祈奚が丙學親を避けずという事だ。思い合わせると殊勝な事である。

???いまいち、良く分からない~

藩翰譜

第2巻 第14章

元和四年正月七日放鷹のため葛西に成らせ…
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元和四年正月七日放鷹のため葛西に成らせらる。去年南部信濃守利直が献ぜし?鷹殊に逸物なればとて。御稱美淺からず。けふ此鷹を試給へば。利直も兼て扈從の列に加はるべしとの命ありしかば。利直御傍に陪從す。時に御手づがら此鷹もて鶴を捉らせ給ひ。御けしき大方ならず。利直に近日鶴の饗膳を給はるべきむね面命あり。おなじ廿日利直めしいでゝその饗を下され。殊に先代より御秘藏ありし差取棹と名付し鐵炮を。御手づから賜りければ。利直かしこみ奉り。かの銃をば永くそが家に寳傳して。寵光を子孫に傳へしとぞ。

元和四年正月7日、鷹狩りの為、葛西に秀忠公は御成になった。 去年、南部信濃守利直が献上した黄鷹が非常に良い鷹だと非常に称賛し、今日、この鷹を試そうとしたのである。 利直も、鷹狩りの折りにはついてくるようにとかねてからの命があった為、傍に従っていた。 秀忠公は手ずから、この鷹を使って鶴を捕獲し、非常に上機嫌であった。 利直に、近日、鶴の饗膳を与えるようにと命じた。 同月20日、利直を呼んでその饗を与え、他にも特に、先代から秘蔵していた『差取棹』と名付けられた鉄砲を手ずから賜った。 利直は畏まって承り、その銃を、家宝として、子孫に秀忠公の寵を伝えたという事だ。

鉄砲にも名前が付いている。それも微妙な名前ですね~(『棹』って……)

家譜

第2巻 第15章

松平伊豆守信綱かいまだ長四郞とて。若君…
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松平伊豆守信綱かいまだ長四郞とて。若君の(大猷院殿御事。)御遊仇にてありける時。ある日公の御方の寢殿の軒ばに雀の子うみしを。若君御覽ぜられほしがらせ給ひ。長四郞とりて參らせよと仰らる。時に長四郞十一?。いかにもかなふまじと辭しければ。侍ふ者ども晝の程に?のさまよく見置て。夜にいりこなたの軒より傳ひゆきてとれ。おとなは身おもくてあし音せんものをとそゝのかせぼ。せむかたなくうけがひて。日暮ると教へしことく寢殿の軒につたひて取むとせしが。踏そむじて御方のつぼの中に落ぬ。公此音に驚きて。御刀取て立出給へば。御臺所もおなじく脂燭さして出させ給ひ。御覽ずるに。長四郞にてありければあやしませ給ひ。汝何しにこゝには來りぬるぞと尋ねたまひしに。晝のほど此屋の軒に雀の子うみしをみしが。あまりのほしさに參りしといへば。公こは汝が心より出しにはあらざるべし。たがをしへしとさまざま詰問し給へども。すこしも言葉をかへねば。かうまであらがふは。おのれ年にも似ぬ不敵者よとて。大なる袋の中におし入。そが口を御手づから封ぜられ。柱にかけ。事のよしありのまゝにいはざらんほどは。いつまでもかくてあるべしと仰けり。夜?に明はてゝ。公には晝の御ましに出させ給ふ。御臺所ははやう彼が心を察せられ。己が身のくるしさを顧みず。竹千代君の御名を出すまじと心まうけしたるを。哀なる者と感じおぼし給ひ。御手づから袋の縫目をとかせ給ひ。朝餉めして給はせ。又本のことくぬひしめてをかせらる。晝の程公入せ給ひ。かさねて推問せられしかど。もとのごとく詞違へねば。御臺所さまざま御かたはらより仰られ。此後かゝる事すなと。いたくいましめたまひてゆるされしなり。その後御臺所にむかはせ給ひ。長四郞が今のこゝろもて生立んには。竹千代が爲にはならびなき忠臣にてあむなれ。かくさいなめしも。その心根見んとなりとて。殊に御悅ありしが。果して後年に至り輔翼の臣となり。兩代無雙の良臣とよばれしかば。人みな公の御明鑑の程を。感じ奉りけるとぞ。

松平伊豆守信綱がまだ長四郎といった、若君(家光公)の遊び相手であった頃のこと。 ある日、秀忠公の寝殿の軒下に雀が子を産んだのを、若君がご覧になって欲しがられた。 長四郎にとって参れと仰せになり、時に長四郎は十一歳であったが、如何にも難しいと思ったものの、昼の間に巣の様子を良く観察しておいて、夜になってから此方の軒よりつたって行って取れば良い。 大人は身が重いから足音がするから、と若君の側仕えの者達が唆した。 仕方がないと考えて、日が暮れてから寝殿の軒を伝って摂ろうとしたが、踏み外してつぼの中に落ちた。 秀忠公がその音に驚いて、刀を手にして出て来た。 御台所も同じく、紙燭を手にして照らして眺めた所、長四郎であったのを怪しまれた。 「何故此処に来たのか」と訊ねたのに、こちらの軒に雀が子を産んだのが欲しくて堪らず参りましたと長四郎は答えた。 秀忠公は、「これは汝が自分で考えた事ではないだろう。誰が教えた」と詰問したが、長四郎は言葉を変えなかった。 「此処まで抗うとは、年に似ぬ不敵な奴だ」と、大きな袋の中に入れ、その口を秀忠公が自ら封じて柱に掛けた。 「ありのままに白状しなければ、何時までもこのままだ」と言い、夜が明け、秀忠公は寝殿を出た。 御台所は、己の身を顧みずに竹千代君の名を出すまいという、長四郎の心を察して哀れな者と感じ、手ずから袋の縫い目を解かせ、朝飯を摂らせた後、又元に戻しておいた。 秀忠公が戻って来て、重ねて詰問したが、長四郎は同じように答えた。 御台所が傍らから、「今後はこのような事はしてはいけない」と言い、強く誡められた後、長四郎は許された。 その後、御台所に向かって秀忠公は、「長四郎が今の心のまま成長すれば、竹千代にとって並び無き忠臣となるだろう。仕置きをしたのもその心根を見ようとしたのだ」と言い、非常に喜んだ。 果たして、後年に至って輔翼の臣となり、兩代無雙の良臣と呼ばれるようになった。 人は皆、秀忠公の慧眼に感じ入った事である。

一見、良い話っぽいけど、信綱言行録ってことは……自画自賛??(とにかく「雀の子」の元ネタです♪)やっぱり夫婦仲良しだし、竹千代君の事も可愛がってるっぽいですよねぇ。

信綱言行?

第2巻 第16章

大坂夏の戰に。今村傳四郞正長一番に敵陣…
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大坂夏の戰に。今村傳四郞正長一番に敵陣に馳入り。乘たる馬鐵炮にあたりければ。徒立にて戰ふ。靑山伯耆守忠俊が臣近藤忠右衞門このさまみて。馬はいかゞせしといへば。鐵炮に中りしといふを聞て。忠右衛門よくかせぐよ。我馬にのれとて芦毛の馬をかしければ。正長即ちその馬に跨て。敵また一人討とり。重ねて乘放しければ。敵の首もちきて忠右衛門にさづけ。放れし馬を取得ずむば。再びかへるまじといひ切て敵中にかけ入り。その馬に乘たる敵うち取て還り。首そへて馬ともに忠右衛門に返しけり。戰畢てのち公正長を御前へめし。汝二度高名せしときく。しかるに首帳に一つと記せしはいかにと宣ふ。正長しかじかのよし申し。一つの首は伯耆が家人に遣しければ首帳には記し申さずと答へ奉れば。折しも?昏にてほの暗ぎころなれば。公御みづから脂燭とらせ給ひ。御前近く正長をよばせ給ひ。汝が如き剛の者は。よく見覺えてをくべき事なりと仰ければ。正長も殊に面目を施しけるとぞ。

大坂夏の戦において、今村傳四郞正長が一番に敵陣に駆け付け、乗っていた馬が鉄砲に当たってしまった為、徒歩で戦った。 靑山伯耆守忠俊の家臣である近藤忠右衞門が、この様子を見て、「馬はどうした」と言うと、「鉄砲に当たった」と言うのを聞いて、 忠右衛門は「よく働け。我が馬に乗れ」と芦毛の馬を貸した。 正長はすぐにその馬に跨がって、敵をまた一人討ち取った。 再び馬を放してしまったので、敵の首を持って来て忠右衛門に渡し、 「馬を掴まえる迄は戻らない」と言い切って、敵中に駆け入った。 馬(さっき手放した馬?)に乗った敵を討ち取って戻り、首を添えて馬と一緒に忠右衛門に返した。 戦が終わった後で、秀忠公は、正長を呼んで 「汝は二度、首を取ったと聞いた。それなのに、首帳に1つと記してあるのは何故だ」と聞いた。 正長は事情を話し、一つの首は伯耆の家人に渡したので、首帳には記さなかったと答えた。 黄昏時であり、仄暗い頃だったので、秀忠公は自ら紙燭を取り、御前近くに正長を呼ばせ、 「汝のような剛の者は、良く見覚えておくべきだ」と言った。 正長も非常に面目を施した事である。

首の台帳があるのですね~ま、成績表みたいなものでしょうか。

明良洪範
家譜

第2巻 第17章

永見新右衛門重成も。大坂の役に拔懸して…
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永見新右衛門重成も。大坂の役に拔懸して高名せしが。兼ての軍令に背しにより切腹に定まる。しかるに俄に重成が實父今村?兵衛重長めしければ。本多佐渡守正信仰を承り。重長より何ぞもの奉るべしとありしかども。とみの事にてはからひがたしといへば。さらば外より奉りし物を。先かりにさゝげよとて。庖所より髭籠樣のものとりよせて奉り拜謁す。公御前ぢかくめされ。若き者の高名をはげむはさる事なれども。汝年七十に及での高名は。いらざる事に思しめすと仰下さる。其時佐渡守御前に出て。ありがたき上意に候。新右衛門事御軍令にそむきし上は。切腹に極りたれ共。若き者の志はさる事との上意は。新右衛門御免あるべしとのことぞ。?兵衞御禮申上べしとありて。即ち御禮申上ければ。公御笑ありて奥へ入せられけるが。御凱旋の後重成めし出し。今度の働比類なしとて。加秩千石賜ひしとぞ。

永見新右衛門重成も、大坂の役で抜け駆けして名を挙げたが、兼ねての軍令に背いた咎で切腹する事となった。 俄に重成の実父である今村彦兵衛重長が呼ばれ、本多佐渡守正信が 「重長より何か奉るべきだろう。普通のことでは計らい難い」と言った。 それならば、外から奉った物を先に仮に捧げようと、台所から髭籠のようなものを取り寄せて奉り、拝謁した。 秀忠公は御前近くに重長を召し、 「若い者が高名を励むの当然の事だが、汝は70歳に及んでの高名は無用な事だ」 と言った。 その時、佐渡守が御前に出て、 「有り難い上意でございます。新右衛門が軍令に背き、切腹と決まったが、若い者の志は当然の事との上意であられる。 新右衛門は赦免あるべきとのことでしょう。彦兵衛、御礼を申し上げよ」と言ったのに、 彦兵衛がすぐに御礼を言った。 秀忠公は笑って奥へ入られたが、凱旋の後に重成を呼び、今度の働きは比類無いということで、加秩千石を賜ったという事だ。

揚げ足取り~な、正信さん。それとも打ち合わせ済みなんでしょうか~

家譜

第2巻 第18章

石谷十藏貞淸は。大坂の役に供奉せん事こ…
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石谷十藏貞淸は。大坂の役に供奉せん事こひ奉りしが。御ゆるしなかりしか共。のどめあへずしてひそかに御跡をしたひて上り。京にて追付奉り。御法令を背き奉れば。首刎られんは元より思ひ設けし事ながら。これ迄はせ參ぜしおもむきは啓し給はれと。御側勤めける何がしに就て申けるが。何がし公には兼て一度仰出されし事は。かへ給はぬ御本性なれば。かかる事聞えなば。いかなる御咎にあはんもはかり難しとて。江?に下りねとさまざまさとしけれども。貞淸聞入ず。からうじて申上しかば。公しばし御思惟のさまにておはしけるが。法令背たれば嚴重にも仰付らるべきが。若者の事故その志不便におぼしめせば。ゆるし給はるなりとて。あまさへ?金二枚下されけり。さて此後は一人たりとものぼるべからず。もし上る者あらんには。屹と御咎あるべしと仰出されしなり。貞淸はかしこさのあまりに。身命を抛て戰功を勵しけるとぞ。

石谷十藏貞淸は大坂の役に供をしたいと請い願ったが、許しが無かった。 それでも密かに後に従って上京し、京で追いついた。 法に背いたとのことで首を刎ねられても仕方がない、と思っていたが、此処迄馳せ参じた心向きについては慮って欲しいと考えていた。 秀忠公のお側勤めをする者が、公は兼ねて一度仰った事は変えない性分であられるから、このような事が知れれば、 どのようなお咎めに遭うか予測出来ないと言い、他の者達は江戸へ下れと様々に諭したが、貞淸は全く耳に入れず、秀忠公に言上した。 秀忠公は暫くお考えであったが、法令に背いたのであるから、厳重に命じるべきだが。 若者の事であるから、その志は不憫だと思ったのだろう。 許すと言い、黄金二枚をも与えた。 「今後は一人たりとも上洛してはならない。もし上洛する者がいれば、きっと咎める」と言った。 貞淸は畏れ多さの余りに、身命を抛って、戦功を挙げたそうだ。

暴走しがちな若者達の監督が大変~な、上様のお話?

兵家茶話
石谷家傳

第2巻 第19章

おなじ役に安藤治右衛門定次御本陣にはせ…
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おなじ役に安藤治右衛門定次御本陣にはせ來り。けふは天下分目の戰なり。勝せ給はゞ御一代また軍あるべしともおぼえず。もし御勝利なからむには。是又きはめの御軍なれ。ともかうも速に御勢を出させ給へと。高らかにいへば。公大に定次を咎めたまひ。敵軍よせ來らば御馬を出され。ただちに切崩し給ふべし。いま敵ども城中へにげ入るほどなるに。追うたんこと。いさましとも思しめされずと宣へば。定次恥いりつつ。詞なくして御前をしぞきしとぞ。

同じ戦で、安藤治右衛門定次が秀忠公の本陣に馳せ参じた。 「卿は天下分け目の戦です。 お勝ちになれば、上様の代では戦が又あるとは思えません。 もし勝利がない場合は、これ又最後の軍です。 ともかく、速やかに軍勢を出して下さい」と高らかに言った。 秀忠公は、大いに定次を咎めた。 「敵軍が寄せ来たら馬を出し、直ちに切り崩すつもりだ。 今、敵は城中に逃げ込んだ所なのに、それを追うのは勇ましいとは思えない」と言った。 定次は恥じ入りながら、言葉を無くして御前を退いた。

血気盛んな若者?を諫めるパターンですね。

天野逸話

第2巻 第20章

島田彈正利正が町奉行つとめけるとき。罪…
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島田彈正利正が町奉行つとめけるとき。罪人の已に死に處せし上にても。なをしばしば生路を求め。遂に助くべき理なくば斬れと仰られしは。好生の德民心にあまねしといひし古語思ひあはせられていとたうとし。

島田彈正利正が町奉行を務めていた時の事。 罪人が既に死刑と決まっていても、尚、生かす道を考え、 助けるべき理由が無ければ斬れと言った。 これは、「好生の德民心にあまねし」という古語を思わせ、大変尊いものだ。

これを言ったのは秀忠公なんですよね??町奉行に言ったんだろうか?

三河之物語

第3巻 第1章

慶長の末まではいまだ創業の時なれば。何…
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慶長の末まではいまだ創業の時なれば。何事も簡易にして。朝儀禮節を議せらるゝにいとまあらず。元和元年浪華の再亂已におさまり。全く大一統の業をなし給ひぬれば。やゝ此事に及び衆に議せしめて。古今武家の舊規を損益し。新に一代の制度を創建せらる。明る二年正月元日より新儀をはじめ行はる。まづ元朝には御直垂めして黑木書院に出まし。若君。(大猷院殿御事。)國松丸君(駿河大納言忠長卿御事。)御献酬ありて後。白木書院にて尾張宰相義直卿。駿河宰相賴宣卿。水?少將賴房朝臣。及び越前宰相忠直卿。加賀少將利常。松平武藏守利隆拜謁し。御盃たまはり時服かづけらる。雜?兎の吸もの等を供し。着座の人々にもたまはりて退く。次に侍從以上普第衆太刀目?もて拜賀し。松平伊豫守忠昌。松平隱岐守定行等。及び老臣おなじく賀し奉り。御盃服賜ひ。次に大廣間に渡御ありて。普代大名。諸番頭。近習。外樣。三千石以上の徒。法印法眼の醫官。其他布衣以上の諸有司。寄合。番衆の輩も一同に拜謁し。諸大夫以上は太刀目?を献ず。上段につかせたまへば。老臣御盃もち出て御引渡御加あり。松平和泉守家乘はじめ諸大夫の法印法眼の醫官まで御流たまはり。服かづけらる。次に布衣以上諸有司。番士。同朋にも御流たまはり。次に板?にて幸若觀世にも御流賜はり。入御のとき大廊下にて高家?諸國由緖の徒拜し。白木書院にて小姓組の番士拜し。其?にて後藤本阿彌官工畫工の徒まで拜し奉り。黑木書院の勝手にて。御膳奉行右筆等拜謁し。終て奥に入せ給ふ。二日には大廣間に出まし。松平宮?少輔忠雄はじめ外樣大名拜謁し。御盃及び服賜る事元日に同じ。御障子開て諸大夫の徒拜し。昨日のごとく御流に服賜る。奥に入せ給ふ時。大廊下にて無官の醫員。連歌師。白木書院にて代官。大工棟梁。落?に諸工人拜伏して入御なる。この夕つげて兼て謠曲始行はれしを。過し年は浪華の乱によて停廢せられしが。これもけふより舊規に復し行はる。西刻長袴めして大廣間に出給ふ。三家及び着座の人々まうのぼり拜謁せられ。御盃出て三献の時。觀世左近四海波しづかにてとうたひ出せば。つぎづぎ巡流れ。老松。東北。高砂。弓箭立合にて御銚子納むる時。御肩衣を?し左近に纏頭し給ひ。陪莚の徒いづれも肩衣?て大夫にさづけ。みな歡抃して退く。三日には白木書院に出まし。國持の長子。無爵の徒拜賀し。次に無官の大名廓下溜にて拜し。其後に諸家の證人及び井伊。榊原。奥平の家人等拜し。板?にて府下。京。大坂。奈良。堺。伏見。大津。淀過書。銀座。朱座の徒拜し。奥に入せ給ふ。五日には白木書院にて天台宗僧巫拜賀し。六日にも同所にて增上寺始め淨宗其他の諸宗僧徒社人等拜謁す。七日は兼て七種粥の事。諸儒。陰陽家。僧徒等に命じて議せしめられ。京へも御尋問ありしかど諸?紛厖にして一定せざれば。古來流例のまゝを用ひたまひて御祝あり。此外月次朔望の儀は。みな舊規のごとくにて。?に改めたまふにも及ばれず。是までは拜賀の者。衣服の制も定まらざりしを。今年はじめて烏帽子。直垂。狩衣。大紋を着し。其以下は素襖を着せしめらる。元日の夕かた酒井雅樂頭忠世。土井大炊頭利勝をめして。江城駿府ともに年中諸節の禮儀。いまだ全く備らず。よて昨年より會議して定めらるれば。今日行ふ所の儀をもて。當家永世の式となすべきよし面命せられしとぞ。是よりのち?朝の間猶損益ありといへども。大躰はみなこの時の制に遵據ありて。永く百世不刊の大典となりぬるにぞ。

慶長の終わり迄は、未だ創業の時代であった為、何事も簡易にして、朝議の際の礼節について、議論するような暇はなかった。 元和元年、浪華の再乱が既に治まり、完全に天下統一を成し遂げられたので、ややこの事についても皆に議論させ、 古今武家の旧規を調べ、あたら二制度を創建した。 明くる二年正月元日から、新しく儀を始め行った。 まず、元日朝には、直垂を着て、黒木書院に来て、若君(家光公)、国松丸君(駿河大納言忠長卿)による御献酬の後、白木書院において、 尾張宰相義直卿、駿河宰相頼宣卿、水戸少将頼房阿損、及び越前宰相忠直卿、加賀少将利常、松平武蔵守利隆が拝謁し、盃を賜って、時服を託けられる。 雑煮の吸い物(ウサギ??)を供し、着座している者達にも賜って、退室する。 次に侍従以上の普第衆が太刀目録を持って拝賀し、松平伊豫守忠昌、松平隱岐守定行等、及び老臣が同じように年賀の挨拶をする。 盃を賜って、次に、大広間に渡り、譜代大名、諸番頭、近習、外様、三千石以上の者達、法印法眼の醫官、その他布衣以上の諸有司、寄合、番衆の輩も一同に拝謁する。 諸大夫以上は太刀目録を献上する。 上段に着かれると、老臣が盃を持ち出して、御引渡御加あり。 松平和泉守家乘はじめ諸大夫の法印法眼の醫官まで、盃を与え、服を託けられる。 次に布衣以上諸有司、番士、同朋にも盃を流す。 次に板縁において、幸若觀世にも御流を賜る。 奥へ渡る途中で、大廊下において、髙家井諸国由緒の者達に拝し、白木書院で小姓組の番士に拝し、その縁で後藤本阿弥宮工、書工たちに迄、顔を合わせる。 黒木書院の勝手で、御前奉行、右筆等に拝謁し、奥へと入る。 二日には、大広間にお出まし、松平宮内少輔忠雄はじめ外樣大名に拜謁し、盃及び服を賜る事は元日と同じである。 御障子開て諸大夫達が拝謁し、元日と同じく御流に服を賜る。 奥に渡る際に、大廊下で無官の醫員、連歌師、白木書院において代官、大工棟梁、落縁で諸工人が拜伏する中、奥へと入る。 この夕には、謠曲始が行われた。 過ぎし年には、浪華の乱によって取り止めていたが、これも今日より旧規に従って行われた。 酉の刻には、長袴を着用して、大広間に出た。 三家及び着座の人々が拝謁し、盃を出して三献した時に、觀世左近が四海波を静かに歌い出せば、次々に順に流れ、老松、東北、高砂、弓箭立合で、 御銚子納めた時に、肩衣を脱ぎ、左近に祝儀として与えた。 陪莚の席の者達は、皆、肩衣を脱いで大夫に与え、皆、乾杯して退出した。 三日には、白木書院にお出まし、国持ちの長子、無爵の者達に拝賀し、次に無官の大名達に、廊下溜で拝し、 その後に諸家の人質達及び井伊、榊原、奥平の家人等に拝した。 板縁で、府下、京、大坂、奈良、堺、伏見、大津、淀過書、銀座、朱座の者達に拝し、奥に入った。 五日には、白木書院で天台宗僧巫に拝し、六日にも同じ場所で、增上寺始め淨宗其他の諸宗僧徒社人等に拝謁した。 七日は兼て七種粥の事を、諸儒、陰陽家、僧徒等に命じて議論させた。 京へも御尋問ありしかど諸説があって、一つに決まらなかった。 古來流例のままを用いて、お祝いをした。 このほか、月次朔望の儀は、皆、旧規のままにして、別途改めはしなかった。 これまでは拝賀の者達は、衣服についても定まっていなかったが、今年初めて、烏帽子、直垂、狩衣、大紋を着用し、それより位が低い者達は、素襖を着た。 元日の夕方、酒井雅樂頭忠世、土井大炊頭利勝を呼んで、江戸城、駿府城共に年中諸節の礼儀は未だ全く備わっておらず、よって昨年より 会議して定められたが、今日行う所の儀礼を以て、当家永世の式とするよう、命じられた。 これより、歴代の間増減はあっても、大体は皆、この時の決まりによるもので、長く変わらぬ大典となった。

正月といいつつ、忙しそうっていうか大変そう。しかもきっちり決めたいタイプっぽいしより大変な感じがしますね。

紀年?
武德編年集成
元寬日記

第3巻 第2章

當家創業このかた。いまだ一代の法制を定…
オリジナル

當家創業このかた。いまだ一代の法制を定めたまひ。天下一統に令せらるゝほどの暇ましまさず。かくて四海の人。其遵守する所に疑惑すべきなりとおぼしはからせ給ひ。元和元年御在洛の折から。金地院崇傳長老をめされてその事を議せしめ。遠くは和漢古今律令の舊文に據り。近くは鎌倉室町このかた武家の式目を斟酌せられ。新に條件十三條を草せしめ。神祖ともつばらに御商訂ありて。その年七月七日諸大名を伏見城にめしあつめられ。本多佐渡守正信して。新令仰出さるゝの旨を傳へしめ。崇傳長老してこれをよましめらる。かくてぞ天下の大小名。みな金科玉條に欽遵し國務を謹愼にして。敢てその法令に違背するものなく。いよいよ國家無窮の洪業をして。磐石よりもおもく。泰山よりも安からしめ給ひしは。いともかしこき御事なり。

当家が創業この方、未だ一代の法制を定め、天下に一斉に号令する程の暇は無かった。 この為、各地の民が皆、法を遵守するかどうか、疑わしいと思ったのだろう。 元和元年、洛中滞在中の折りに、金地院崇傳長老を呼んで、その事を議論させた。 遠くは和漢古今律令の旧文に拠り、近くは鎌倉室町の武家式目を斟酌した。 新たに十三条を草案し、家康公とも細かく確認し、その年の7月7日に、諸大名を伏見城に集め、 本多佐渡守正信によって新令を発布する旨を伝えさせた。 崇傳長老がこれを読み上げた。 このようにして、天下の大小名、皆、金科玉条を遵守して、国務を謹慎して務め、敢えてその法令に違背する者はなく、 いよいよ国家無窮の大業を盤石にし、泰山よりも安らかにした。 大変、畏れ多い事である。

武家諸法度辺りの話なんでしょうかねぇ。何にせよ、頑張ってるよ~感が。でもって、まだまだ正信さんが現役?(そろそろヤバイいのでは?)

駿府記

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その日、秀忠は己が今迄にない特上の上機嫌であることを隠すのに必死であった。何と言っても今彼は忙しい。いや正確に言えば、彼だけでなく更には伏見にいる大名だけでなく民草全て迄皆忙しい。後の世に慶長伏見地震
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ぼんやりと江は薄暗がりの中目を開けた。まだ夜は明けてないらしい、などと考えて、それから未だ己の身が夫に抱き抱えられた状態、更にはその身を深く繋げられた状態だと気付いて独り頬を染めてしまう。(……このよ
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夜闇は深まるばかりだ。「やっ……やめて、下さい、そんな……」江は懸命に身を捩り、逃れようと努めた。だが年下の夫ーということを常に夫秀忠は主張し続ける。そんなに年上の女が嫌ならば夫婦にならなければ良かっ
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いつものように、江戸に残っている唯一の子である三の姫の様子を見に行きー相変わらずお転婆だが、顔立ちなどはますます父親に似てきたような、彼女の心を暖めてくれると共に胸轟かせるような表情すら浮かべるー娘と
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身体を繋げられないのはもどかしいがこの女の為ならば仕方がない、などと自然に思ってしまえる自分を不思議に感じながら秀忠は女を抱き締め、その場所は避けるように身体を動かしていた。だが出来るだけ早く交わりた
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明けましておめでとうございます!新年早々、新婚時代の新作、うれしいです。今年も楽しみに読ませていただきますね!
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江さんと秀忠さんの新作、うれしいです!これからじっくり読ませていただくのですが、一つお伝えしたくて。PREVIEW、いいですね!もうすぐ公開予定の作品があるとわかると、わくわくします。これからも作品を拝読するのを楽しみにしてます!!
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やっぱり新婚時代の話、大好きです!!ありがとうございます。 秀忠さんびいきの私としては、民部がもう少し秀忠さんのことを認めてくれてもいいのになって思います。立場上もちろん丁重に接してはいますけどね。まあ、徳川家の家臣や使用人達は秀忠さんに忠誠を誓っているわけだから、立場の違う民部は仕方ないのかな。
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新作、読みました!!今回は登場人物が超豪華ですね!信長、秀吉、家康、お市の方まで。3英傑が揃って生きていた時代って、今から考えるとすごいなーと思います。家康公(なぜか呼び捨てに抵抗がある・・・前の文ではしてるけど)視点のお話って初めてですよね?新鮮でした。
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コメントするところが違ってますが、日見始、昨日読みました! 新婚時代のラブラブ話、やっぱりいいです!!ありがとうございました。黄金の船シリーズの秀忠さんは穏やかで思慮深い印象、東と西シリーズの秀忠さんは武士の名門の若君らしく、若々しくて激しさを感じさせますが、どっちも楽しんでます!!これからも作品楽しみにしてます。
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早、朝晩凍るような寒さが沁み入る時節。何とも月日が経つのは早いものだ、などと思ながら、江は冬枯れの詫びた庭を眺めた。江が夫に連れられ、赤子の姫共々江戸へ下り、婚家の本城である江城に入ったのは、夏のこと
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寒い日が続く。だが江は以前よりもずっと冬の寒さというものが好きになった。元々雪は大好きだし、ひやりとした空気は時折辛くはあるものの己の吐く息が白くなったりするのが妙に楽しかったりする。無論己に仕える者
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無事二人目の子が産まれた。子を産んだ妻ー秀忠にとっては大切な正妻であり、また愛おしくも恋しく慕い続けている女、でもあるーは少し沈んでいる。彼女は何の根拠もなく男児が産まれると信じ込んでいた。秀忠は時折
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(秀忠様は、私と離縁しても構わぬと思っておいでなのだわ。いいえ、もしかしたら)寧ろとうに、年上で美しくも淑やかでもない己になど飽きてしまっていて、彼女の方から身を引くのを待っていたのかもしれない、と思
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通常、寝つきが悪く寝起きが異様に良い彼の目覚めは、はっきりくっきりしたものなのだが、その朝は違った。己では否定していたものの、やはり彼も疲労が溜まっていたーあるいは慣れぬ務めで気疲れしていた、のかもし
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