徳川実紀 | 台德院殿御實紀附録

第1巻 第11章

五月七日戰いまだ始らざる前に。諸營を巡…
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五月七日戰いまだ始らざる前に。諸營を巡視し給ふ。黑絲の鎧に山鳥の陣羽織を召れ。角頭巾の兜を陪從に持せられ。櫻野といふ十寸三分ある御馬に孔雀の馬鎧かけて乘せ給ひ。御傍に十文字の鑓一本及長刀もたしめ。歩士二十人ばかりゆくりもなく附そひ奉り。この時黑田筑前守長政。加藤左馬助嘉明。いざ見參に入むとて御前へはしりいで。御馬の左右にとりつき。昨日は敵兵城を出しが。味方討もらしておめおめと城中に引入らしめしを。口おしと思ひしに。今日又足長に打て出しは天の與ふる所なれ。一人もあまさず討て捨べきなりと申上しかば。公御けしきうるはしくて。追付追付と仰られ打通らせ給ふ。兩人しばしが程御供せしが。最早それにと仰せられて。兩人ひかへ居し處へ。本多正信澁帷子きて胄はがりかぶり。大團扇もて蠅拂ひつゝ。山駕籠に乘て來りしが。兩人にむかひ。おことだちは見奉られしや。いまの將軍家の御行裝は例とかはり。いと御手輕き事にはなきかといへば。嘉明さなり。御手輕なるは例の御家のくせよといらへはれば。長政こはいとよき御くせなれといひながら行わかれぬ。公常は何事もおもりかに。嚴正におはしませしが。かゝる?劇の折には又かく眞率にあらせられしなり。

5月7日、戦が未だ始まっていない時に、諸陣営を秀忠公は巡視した。 黒絲の鎧に、山鳥の陣羽織を着用し、角頭巾の兜を従者に持たせており、櫻野という体高約160cm(四尺十寸三分)の馬に、孔雀の馬鎧をかけて乗っていた。 徒の士20人ばかりが付き従っていた。 この時、黑田筑前守長政、加藤左馬助嘉明が見参しようと御前に走り出てきて、馬の左右に取り付き、 「昨日は、敵兵が城を出たが、味方は討ち洩らしておめおめと城へ引き取らせてしまった。口惜しくてならない。 今日こそは、打ち出て来た者達は、一人も余さず討ち捨てるべきです」と言った。 秀忠公は機嫌良く、「追付追付」と言い、その場を通った。 両人は暫くお供をしたが、「最早それに」と言われ、両人が控えていた所に、本多正信が澁帷子を着て胄を被って現れた。 「大変、手軽な事ではないか」と言うのに、嘉明が「お手軽なのは、御家の癖であろう」と応じた。 長政は「これは良い癖だ」と言い、別れた。 秀忠公は何事も重々しく厳正であるが、こういった緊急時においては、このように真率であった。

又も巡視。身軽だよ~ということでしょうね。

武邊咄聞書
落穗集

第1巻 第12章

おなじ七日の役に。戰すでに半なりし比。…
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おなじ七日の役に。戰すでに半なりし比。櫻の門の邊に?の設置し埋火はね起りしかば。御先手の者等驚きあはてゝ大に潰散す。折ふし御馬前人少なりしかば。御みづから手鑓とらせ給ひ。?陣へかけむかはんとし給ひければ。たれいふともなく御旗御馬印六七間ほどゆるぎ出たり。この時安藤對馬守重信。及び中間頭畔柳助九郞武重はせ來り支へ奉る。武重は御馬の口付の足に。己が足を踏かけて。あをむけに倒れふして。大殿の御馬前にてもかゝるためし度度有き。御手討になる共御馬は放すまじといふ。公この時御刀二三寸拔あけ給ひ。はなさぬかぬかと仰らるれども。武重ちつとも動かず。その?に本多正純。加藤嘉明。黑田長政等軍勢引つれはせ來り。御馬廻を警衛し奉る。公は少しもさはがせ給はず。三枝土佐守昌吉に命ぜられ。潰崩るゝ先手の中をゝし分て。御旗を敵ちかくすゝめ。御みづから馬上にて白采振て。かゝれゝれと下知し給ふ。この御勢に勵まされて。諸手みな奮戰し城兵悉く敗走しければ。やがて茶臼山にならせられ。大御所に對面し給ひ。今日諸軍いさぎよく戰功をはげみたるよし仰上給ひしかば。將軍今日の勇氣といひ。すべて勳功比類あるべからずと。大御所仰有て。御けしき殊にうるはしかりしとぞ。

同じ7日の役の時のこと。 戦は既に半ば終盤に差し掛かった頃合い、桜門の辺りに敵が設置した埋火が跳ね起きた。 先手の者達が驚き、大いに慌てふためいて逃げていってしまった。 秀忠公の馬前に人が少なくなった為、自ら手槍を取り、敵陣へ向かおうとした。 特に何も言わず、御旗御馬印が12m位?(6、7間程)揺れて出た。 この時、時安藤對馬守重信、及び、中間頭畔柳助九郞武が駆け付けて支えた。 武重は、秀忠公の馬の口付の足に、自分の足を踏みかけ、仰向けに倒れ伏した。 「大殿の馬前でも、このような事は、度々ありました。お手討ちになっても、馬は放しません」と言った。 秀忠公はこの時、刀を7、8cm(2、3寸)抜き、「放さぬか」と言ったが、武重は動かなかった。 そうこうする内に、本多正純、加藤嘉明、黑田長政達の軍勢が到着し、秀忠公の馬廻りを警備した。 秀忠公は少しも騒がず、三枝土佐守昌吉に命じ、乱れている先手の中を押し分けて御旗を敵近く進め、自らは馬上において白采を振り、 「かかれ、かかれ」と下知した。 秀忠公のこの勢いに励まされて、皆奮戦し、(大坂城の)兵は悉く敗走した。 やがて茶臼山に赴いて、大御所に対面し、秀忠公は、今日諸軍はいさぎよく戦功を励んだと伝えた。 それに、大御所は、「将軍は今日の勇気といい、全て勲功、比類ないものだ」と言い、非常に機嫌が宜しかったそうだ。

とにかく突進!な感じが。。。突進!は血筋なんですね~

攝戰實?
駿府記
古老噺

第1巻 第13章

大坂の城すでに破れ。秀賴母子北方はじめ…
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大坂の城すでに破れ。秀賴母子北方はじめ。芦田曲輪にあつまりて。いづれも自害の用意のみなりし時。大野修理亮治長北方の御乳母にむかひ。世はこれまでなり。この上は北方城を出給ひ。大御所の御陣におはして。御みづから御母子の助命の事願ひ給はんより。外の事なしとすゝめ奉れば。この議しかるべしとて北方御出城ありて。まづ本多佐渡守正信につきて。この事申上給ひしかば。大御所聞しめし。お?がねがひとあるは尤なり。秀賴母子助けたりとて何かくるしからん。願の通りにいたしつかはすべし。されども汝岡山に往て。將軍にこのよし申せと仰ければ。正信岡山にまいりかくと申上しに。公殊に御氣色損じ。いはれざる事を申さずとも。など秀賴と一所に生害はせぬぞと。以の外の御樣なれば。正信まづまづ何事も。大殿の御差圖にまかせ給へと申てかへりしが。とかくする?に。秀賴母子は遂に生害ありしとなり。

大坂城は既に敗れ、秀頼母子や北の方達は芦田曲輪に集まって、自害の用意をしていた時のこと。 大野修理亮治長が北の方の乳母に向かって 「もはや、これまでだ。この上は、北の方には城を出て頂き、大御所の陣へ赴いて、淀殿及び秀頼君の助命を自ら願って下さい。他の手立てはありません」 と勧めたので、確かにその通りと考え、北の方は城を出た。 先ず、本多佐渡守正信の元へ行き、この事を告げるとそれを聞いた大御所は 「姫の願いは尤もである。秀頼母子を助けたからといって、別に困る事は無い。願いの通りにしてやろう。 汝が岡山に行って、将軍にその旨、伝えよ」と言った。 正信が岡山へ赴き、言上すると、秀忠公は機嫌を損ねた様子で、 「余計な事を言わずとも良かろうに。何故、秀頼と共に自害しない」といった風で、正信は 「先ずは何事も大殿の御指図にお任せ下さい」と言って戻った。 このようにする内に、秀賴母子は自害したのであった。

思うに、大御所様vが許すと先に言っていたから、安心して秀忠君は将軍家の体面を優先出来たのかなぁ~(この後の事を考えると千姫にも大甘だし^^;)

大坂陣覺書

第1巻 第14章

大坂の役に。近臣の中に反間の者ありとい…
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大坂の役に。近臣の中に反間の者ありといひふらせしを聞せられ。神祖は御座を立せ給ひ。さる者あらんに見知らぬ事やあるとて。御次伺公の人々をつばらに御覽あり。公の御陣にもおなじきさまの事いひ出ければ。聞しめすとひとしく。御刀とつて立出給ひ。近臣の中とは誰が事ぞと仰られしとぞ。御父子ともおなじさまの御心用の程を。人みな感じあへり。

大坂の役の時。 近臣の中に敵に通じている者がいると言いふらされているのを聞き及び、家康公は 「そうした者が居るというなら、分からない筈がない」と傍に控えている者達を眺めた。 秀忠公の陣においても同じような流言があったが、それを聞くと秀忠公も同じく、刀を取って立ち上がり、 「近臣の中とは誰の事か」と言った。 父子共に、同様の心構えなのだ、と人皆感じ入った。

ちょっと家康さんの言葉が違う、かも??「居るというならはっきり言ってみろ」という意味かな??(それだと秀忠君と同じ、になるし)

前橋聞書

第1巻 第15章

神祖駿府より江?へわたらせ給ひ。武相の…
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神祖駿府より江?へわたらせ給ひ。武相の間御放鷹の折。御塲の?にもち繩張てありしを御覽あり。たが所爲なりやとて御糺ありしに。靑山常陸介忠成。?藤修理亮正成がゆるせし所といふ。神祖御氣色損じ。わが留塲にて彼等かゝる事ゆるしたるは奇恠なれ。將軍は知給はぬかと仰ありければ。公きこしめし驚き給ひ。兩人を誅して御怒休め奉らむとおぼしめせど。彼等幼より御側ぢかくめしつかはれしものなれば。駿府へかへらせ給ひし後。阿茶の局もて伺はせ給ひけれど。何の御答もなし。よて本多正信めして議せらる。正信わざわざ駿府へまかり。神祖の御前へ參り。?藤靑山が事むづからせ給ふにより。若殿には兩人に腹切らしめんと仰あれども。いかにも不便におもひ侍るなり。正信が身も年老て物の用に立ず。この後いさゝかの過失ありて。若殿の御誅伐に逢むも計りがたければ。この後は江?を去り駿河に參り。大殿に奉事してしらが首つなぎ侍るべきなりと申もはてぬに。神祖御心とけて。將軍かくまでおごそかに申付られしや。かかれば兩人ゆるさるべしと申せと仰ありて。正信歸りきて此由聞へ上しかば。公にも悅ばせられ。兩人しばらくの間閉居せしめられ。やがて其職をばゆるされたり。

家康公が駿府から江戸に来られ、鷹狩りの際に、御鷹場内に縄が張ってあるのを見た。 「誰の仕業か」と糾すと、靑山常陸介忠成、内藤修理亮正成が許可した事だとの答えがあり、家康公は機嫌を損ねた。 「儂の鷹場でその者共がこのような事を許したのは奇っ怪だ。将軍は知っているのか」と言った。 将軍がこれを伝え聞いて驚き、両名を誅して家康公の怒りを解こうと思ったが、二人とも幼い頃から側近く召し使って来た者達である為、 家康公が駿府へ戻った後に、阿茶の局を通じて伺いを立てたものの、家康公からの答えは無かった。 その為、本多正信を呼んで相談した。 正信は駿府へ赴き、家康公の御前へ出て、 「内藤、青山の両名が大殿の機嫌を損ねた事により、若殿は両名に腹を切らせよと仰いましたが、如何にも不便に思います。 正信自身も老いて、役に立たぬ身であり、今後、僅かな過失を犯せば、若殿の御誅伐に遭うかもしれません。 今後は、江戸を後にして駿府に参り、大殿に仕えて、この白髪首を繋ぎたいと思います」と言った。 その為、家康公も怒りを解いて、 「将軍がそれ程に厳しく申し付けたのならば、両人は許してやれば良い」と言った。 正信が江戸へ戻ってその旨を伝えると、秀忠公は喜び、両名は暫くの間、謹慎した後、やがて許され、元の職に戻った。

困ったお年寄りをどう扱うか、でしょうか。でも息子にないがしろにされたかもって思って拗ねてるっぽい家康さんも可愛い感じ。

武家閑談

第1巻 第16章

神祖御大漸に及ばせられし時。わが命すで…
オリジナル

神祖御大漸に及ばせられし時。わが命すでに旦夕にせまれり。この後天下の事は何と心得られしやとのたまへば。公天下は亂るゝとおぼしめす由御答ありければ。神祖ざつと濟たりとの仰にて。御心地よげに見え給ひしとぞ。

家康公の病が重くなった際、 「儂の命も既に旦夕に迫っている。この後、天下の事はどう心得ているか」と聞いた。 秀忠公は 「天下は乱れる」と思っている事を答えた。 家康公は 「ざっと済んだ」 と言って、心地良さそうであった。

息子が油断してないのを確認して安堵。……ってやっぱ慎重っていうか、周到ですねぇ<徳川さん達

道齋聞書

第1巻 第17章

神祖かむさらせ給ひし後も。如在の禮怠ら…
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神祖かむさらせ給ひし後も。如在の禮怠らせ給はず。いさゝかの事もまづ御宮へ聞えあげさせられ月ごと十七日には殊さらの御愼にて。御衣服調度の類はさらなり。便殿の奥まで改めかへられ。前夜はわざと夜ふくるまで起居て。さまざまの御物語あり。もし御殿ごもりてあしき夢など見給はゞ。神威を汚し給はんかとの御心用なり。夜明ると御行水めし。淸まはりして御宮へ參らせ給ふまでは。御手を御けしの?に入れ給はず。御膝の上にあをのけておかれしなり。其日はいつも本阿彌などめしいでて。日ねもす刀劍の御鑑賞あり。はてには臣僚の差料を取よせて御覽あり。これも他の御遊あらば。御誠意の散じ給ふ事もあらんかとおぼしめして。かく愼ませ給ひしとぞ。

家康公が亡くなった後も、従来の礼を秀忠公が怠る事は無かった。 まず僅かな事であっても、御宮(東照宮?)に申し上げ、月命日には殊更慎み、衣服や調度などは尚更であった。 便殿(寝殿?)の奥迄改め、月命日の前夜は夜が更ける迄起きていて、様々物語(思い出話?)をした。 寝ている時に悪い夢を見たりすれば、神威を汚したろうかと心配した。 夜が明けると、行水をして身を清めてから御宮へ参る迄、手を衣の内になど入れず、膝の上に仰向けに置いていた。 当日はいつも、本阿弥などを召し出して、終日、刀剣を鑑賞した。 果ては、家臣達の差料を持って来させて眺めた。 これも他の遊びに耽れば、誠意が散じる事があるのではないかと思って、このように慎んでいたのである。

……刀剣を眺めるのが慎み、なんですか。殺伐とした空気で心身を引き締めるって事??

額波集
名將名言記

第1巻 第18章

神君の御遺金をわかたせ給ふ時。尾紀の兩…
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神君の御遺金をわかたせ給ふ時。尾紀の兩卿はおのおの三十萬兩。水?の賴房卿へ十萬兩遣はされき。御みづからは天下を讓り受たまへば。この外に何を求んとて。一品も御身に付させ給はず。長久手の役にめされし御鎧は。名譽の御品なれば。これはいかにと伺ひしに。それも御物にはし給はず。これらに就ていと御廉潔の盛意はかりしるべきなり。かの御遺金あまた分たせ給ひし餘。なを三十萬兩のこりしも。御みづから御費用にはなされず。駿城の庫に納てありしが。その後忠長卿駿河に封ぜられ賜ふに及んで。駿河殿預り給ふもしかるべからずとて。久能山に納られぬ。是其比の古語に久能の御金といひしなりとぞ。

家康公が残された遺産を分けた時の事。 尾張、紀州の弟君達はそれぞれ三十万両、水戸の頼房卿へは十万両渡した。 秀忠公自身は天下を譲り受けた為、これ以外には何も求めないと、何も手許に置かなかった。 長久手の役で纏っていた鎧は、名誉の遺品であるからこれはどうするかと伺ったが、それも自分の所有物とはしなかった。 これらのことからも、秀忠公の廉潔な志が如何ほどのものか、推し測るべきだろう。 遺金は分与の後も、三万両残ったが、秀忠公は自分の費用とはせずに、駿府の城の金庫に納めていた。 その後、忠長卿が駿河の領主となった際に、これは忠長卿が預かるものではないと、久能山に納めた。 これが、『久能の御金』と言われたものである。

徳川埋蔵金?!(いや、違うよね~)

寬元聞書

第2巻 第1章

駿河亞相未だ國千代君と申ける頃。銃うつ…
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駿河亞相未だ國千代君と申ける頃。銃うつことを稻富喜大夫直賢に學給ひ。ある日西城の湟に居し鴨をうちとめられ。御臺のかたへ進らせ給ひければ。御臺所悅給ふ事なゝめならず。その夜しも公後閣にわたらせ給ひければ。これを調じて御酒すゝめ給ひ。こは國が手づから打留しよし申させ給へば。公にも御氣色うるはしくて。さてもこの物いづくにて打留しにやと問せられしに。御臺所いかにもよく聞え給はんとて。つばらに西城の湟にて打留給ひし旨をかたらせ給へば。きこしめしもあへず御箸投すて給ひ。たが供してかゝるふしぎをなさしめしぞ。そもそも當城は東照宮新に築かせられ我に讓らせ給ひ。我又竹千代に參らすべきなり。さるを國が身として。城に向て鐵炮放せしこと。上は天道にそむき。且は神慮の程も計りがたし。下は竹千代がきゝ思はんも。その憚なきにあらずと。殊の外御けしき損じ。御座を立せられ。その日國千代の御方に御供せし者御勘事蒙りけり。此事世にいひ傳へて。嫡庶の分を正しうせられし御心諚いとたうとし。さるを又駿河殿を御偏愛有て。廢立の念おはしませしなどいふは。とるにも足らぬ妄?なるべし。

駿河大納言がまだ国千代君と言った頃のこと。 銃を撃つことを、稻富喜大夫直賢に学んだ。 ある日、西の丸の堀に居た鴨を撃ち取り、御台所へ進呈すると御台所は非常に喜んだ。 その夜、秀忠公が奥に渡ったので、これを調理して酒と共に勧め、これは国が手ずから撃ち取った旨を伝えた。 その為、秀忠公も機嫌良く「この者を何処で撃ち取ったのか」と問うたが、御台所がよくぞ聞いてくれたと喜んで 西の丸の堀で撃ち取った事も語ると、秀忠公は箸を投げ捨て、 「誰が供をしてこのような事をさせたのか。そもそもこの城は東照宮が新たに築き、それを私に譲ったものだ。 私も又竹千代に譲るつもりだ。 それを国の身の上で、城に向かって銃を撃つなど、天道に叛く事であり、東照宮の御心にもそぐわぬだろう。 又、竹千代にしてみれば、危うい事と思うであろうに、その憚りは無いのか」 と殊の外、機嫌を悪くし、席を立った。 その日、国千代君に供をしていた者達は、お咎めを蒙った。 この事は、世に伝え、嫡庶の分を正しくしようとの御心諚は尊いものである。 又、駿河殿を偏愛して、竹千代君を廃立しようとの存念があったなどというのは、取るに足らない妄説である。

う~ん、これ、微妙に誰かさんの考えが入り込んでる気がする逸話ですよね。(儒学チック+αな。。。)

武野燭談
藩翰譜

第2巻 第2章

ある頃のことなりしが。茄子に穴を明て空…
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ある頃のことなりしが。茄子に穴を明て空をみれば。月二つ見ゆるとて。上下かゝる事を專らなせし事あり。御側の女房。公にもいさゝか御覽あるべしと申ければ。それ月二つありては天下治らず。月を二つにせんも一にせんも。我心にありと仰られしは。いかなる事とも心得られざりしが。これもその頃駿河殿の威權つよく。世には廢立の事もおはしまさん樣に。流言せしほどの事なりしとぞ。

とある頃。 茄子に穴をあけて空を見れば、月が二つ見えるといって、誰もがやってみていた事があった。 秀忠公に仕える女房も、公に「少しご覧下さい」などと言えば、 「月が2つあっては、天下は治まらない。月を2つにするも1つにするのも私の心次第だ」 と秀忠公は言った。 どういうことだろうかと女房は良く分からなかったが、これもその頃、駿河殿の権勢が強くなっており、 世中には廃立もあるのでは、などという流言が出回っていたからだろう。

何で茄子?(ま、良いけど)うーん、これも後付けっぽいですが。

駿河土?

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