藤袴2

2016年5月2日7:00 公開 1


予定通りその宴ー表向きは現二代将軍がその高き位職を朝廷より承ってから十周年という、徳川幕府の揺るぎなき存続とその治世下における太平の世を祝い記す式典ーは、粛々と開かれた。

父祖代々、主家に仕える譜代の臣達、というだけでなく将軍家側近の能吏として遺憾なくその才を発揮している面々が今回の宴を主だって企画している。

皆口に出しはしないが、それぞれそれなりのーあるいは共通のー思惑なども持ち合わせている為、ある意味、日頃の務めより熱心だ。

尤も浮かれた心地を己で認める程、表番の者達も、また奥殿務めの者達も、素直ではなかった。というより己の感情よりもやはり、頑固で律儀な三河人気質ー及び主家への忠義心ーが勝っている。

西方の雲行きが疑いようもなく暗澹としている、とは年配のー先の大戦の従軍経験者更には大陸の戦やら、それ以前の太閤との軋轢やら関東周辺鎮圧、更に更に三河での奮闘などを知っているー者達には火を見るよりも明らかであるし、戦を知らない若い者達も、声高かつ面倒見が良いーそれ以上に声の大きいー年長者達の薫陶を受け十分以上に察知どころか承知していた。

近々、あるいは本年中にでも出陣命令が下るのではないか、などという噂は既に城中だけでなく城下迄出回っている。

(だが今日は目出度い日なのだ)

そうした認識を以て後ろめたい気持ちを敢えて抑え、主家である将軍家及びその御連枝、更には柳営の繁栄を言祝ぎ祈願しているのだ、と彼等は自らに言い聞かせ、刻限通り所定の席に陣取った。

僅かに遅れて、少し離れた場所に設置された幕下に、今日という晴れの日用の一張羅に違いない、華やかな衣を纏った奥殿の女中等が集まるのも、見て見ぬふりをする。

同じ主家に、しかも昨今の情勢を鑑みて、なのか、特に奥殿出仕の女中衆の身元は厳しく改められており、つまりは殆どが家中の子女等、もしくは知己ばかりだ。

それでも若い者達の間には、ある種、軽々しい交流などあったろうが、厳格で頑固な先達が同席の場であるから、ごく自然に皆、主席として設けられた特別製の天幕及びほぼその正面に設えられている舞台へと視線も意識も集中する。

今や武門第一と呼ばれている、つまりは今この時代においては日の本一といってもほぼ間違いではないー名実共にそうなるのだと列席者は皆決意しているー徳川宗家の当主である二代将軍が悠然と座し、普段通り泰然とした様子で舞台上で必死な感で精一杯の芸を披露している前座の(という意図の筈だ)端下の小姓等の舞を観察している。

時に能面とも、あるいは鉄兜などと表現する者もいる将軍の無表情は相変わらずで、あれでは余程熟練の芸達者か、己の技量に自信のある者でないとやりにくくて仕方がないだろう。

仕える者達にとっては努力や能力を正当に評価し認めてくれ得難いと感じる機会の多い主君ではあるが。

時に如何ともし難く扱いづらい相手と覚えることもあるとは、皆経験済みだ。

ぎこちなく微妙に拍子外れではあったが、何とか踏み止まり、無事、御前で礼を取る形で動きを止めた年端のいかぬ小姓達から将軍は一瞬目線を逸らし、何処からか何らかの合図を受けたのか、舞が終わったと判断したのだろう、数度軽く手を叩いた。

頬を紅潮させて嬉しげに視線を上げる少年達に、軽く頷いてみせるだけでなく、「褒美を取らせよ」とこれはすぐ側に控えている小姓に命じる。

基本幼い者達、また懸命に務める者達には寛容で、優しくすらある主君であると改めて認識しながら、列席者ーこれから何らかの芸を披露することとなっている者も含むーは丹田に力を込め、気合いを入れ直した。

逆に主君は、年長者達の怠惰や怠慢は決して許さぬ潔癖な人柄なのだ。

表向き宴は酣へと向かい、特に奥殿の女中衆などは華やかに些か軽薄な笑い声など上げ始め寛いだ雰囲気が盛り上がって来たが、根底に流れる緊迫感はいや増すばかり。

と、少なくとも将軍家本人の性格を良く知りその側近くで親しく仕える者達はひしひし感じていた。

実際注意深くー無論主君に気付かれぬように、であるのでなかなか難しくはあるのだがー観察していると、主君自身も宴及び出し物が続くにつれて、微かにその無表情に綻びを顕し始めている、ように見て取れた。

将軍の為に開かれた祝いの宴、ではあるが、将軍自身にとっては異なる意味があると、側近達は察知している。

同じく十分以上にこの後の演し物を知っているどころか大いに関わっているだろう奥殿の女中衆が落ち着き払っているどころか、職付きの女房達迄もが楽しげに笑いさざめいているのを、将軍家側近等は忌々しげにーうらやましくー睨んだが、所詮奥殿では差配が異なる。

同じ主家に仕える立場であっても、天と地ほどに違うのだ、などとあるいは多くの者が考えた、かもしれない。

そんな頃合いに。

和やかなーあるいは張り詰めたー空気を切り裂くように、細く鋭い笛の音が響いた。


投票状況:Best 5
徳川 秀忠
88
浅井 江(小督)
78
十蔵
5
藤次郎
3
かずは
2

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